多数決

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20120117/p1 を読んでの話。

僕が「本来の」多数決に出会ったのは、確か中学2年のときだったと思う。クラス替えの後最初の学級活動の時間に、クラス内で意見をまとめるときに取るべき方法について書いたプリントを担任の先生が配って解説した。そこに書いてあった内容は上の記事のマツダ先生(仮名)の話と類似していて、以下のような手順で決を取る方法だった。

  1. まず案を出す
  2. それぞれの案に関する意見を出して議論する
    • その議論の中で、必要に応じて選択肢の追加・修正・統合等を行う
  3. 議論が十分に収束したら多数決を取る

ここで大事なのは、いきなり多数決じゃないんだよ、ということ。その前にちゃんと意見を出し合って議論しないといけない。

みんなの意見をまとめるにあたって、もっとも原始的でもっとも良い方法は、話し合いによって意見を統一すること。それぞれの選択肢には長所・短所があって、そのときに置かれている状況に対してどの選択肢が最適なのかをみんなで話し合って決める、それが最善の方法のはず。ただし、人によって考え方や優先順位が違うので、必ずしもみんなが合意できるとは限らない。だから次善の策として、話し合いの結果「どれが最適だと思ったか」を(例えば)多数決で決める。これが本来の民主主義のやり方だと思う。
「少数意見の尊重」という話があるけれど、これは決して「多数決で負けた人の意見もまあ参考にしてあげようね」などという意味ではなく、「少数派の意見だからといって軽視することなく、十分に議論して採用すべき部分は採用し、最善の案を作る」というのが一番大事なはずだ。

中学の頃の僕は「黙って多数決を取ればよいのになんでこんなめんどくさいことをするんだろう」と思っていたし、実際のところそのクラスの学級活動でこのプリントの方法が十分に活用されていたとは言えない。僕がこの考え方をきちんと理解したのは中学を卒業してだいぶ経ってから、「多数決が正しいとは限らない」という趣旨の雑誌記事か何かを読んだときだった。それでもこの記事を読むにあたって、中学のときに担任の先生のプリントを読んでいたことは大きな影響を与えていたと思う。


ついでに。さっき「(例えば)多数決で決める」と書いたけど、ここで多数決を使うことが必ずしも正しいとは限らない。その一回だけを見れば多数決がもっとも理にかなった方法かもしれないけれど、何度も多数決を取っていると毎回少数派に回ってしまう人が出てくる。性別とか年齢とか宗教とか、異なるバックグラウンドを持っている人がいる場合は特にこの問題が顕著になる。そういうときに、例えば順番に割り当てられた代表者の意見を採用するとか、くじ引きであたった人の意見を採用する、というやり方も、平等な方法としては考えられる。「古代ギリシャでは政治家をくじで選んでいた」という話も、「平等」という観点では実に理にかなっているのだ。
もちろんこれらの方法にのデメリットはあるし、今多数決で決めていることを全部くじに変えるべきなどと主張する気はない。しかし少なくとも、多数決が適切ではない場合があることだけは間違いない。世の中では、小学校から慣れ親しんできた多数決を何の疑問も持たずに無条件に採用していることが多く、これはとても危険なことだと思う。