気を使う、ということ

僕は、気を使うのも、気を使われるのも、あまり好きでない。お互いに遠慮なく言いたいことを言って、言われて嫌なことがあったらすぐ指摘する、それが理想的な関係だと思う。逆にお互いに気を使っていると、両方が相手の意向を伺うような発言をすることになって、結局どちらの意向とも違う結論になってしまったりする。それはお互い疲れるだけで、何も良いことはない。それに、気を使う度合いというのは相手との距離とほぼ比例するから、相手から気を使われると「俺が考えるお前との距離はこれくらいあるんだぞ」と言われているようでちょっと悲しくなる。あるいは、僕なんかに対してそんなに気を使わなくても良いのに、と思うこともある。

ただ、意識しないとどうしても気を使う方に流れてしまいがちだ。相手に気を使う、というのは、相手を怒らせないようにすることだから、気を使っておく方が短期的には「安全」なのだ。無遠慮な言葉に怒る人はいても、気を使われたことに怒り出す人はあんまりいない。それでも長期的には気を使わない関係の方が良いと思うから、僕は意識して妙な気を使わないようにしている。

でも、僕もすごく気をつかうことがある。それは、自分の発言が相手に不愉快に思われたかもしれない、と思ったとき。
僕は人とだいぶ違う感性を持っているらしく、多くの人が不愉快に感じることでも僕はなんとも思わない、ということがたくさんある。だから、自分の行動が相手を不愉快にさせたるものかどうかの判断がなかなかうまくいかない。それで、もしかしたら不愉快に思われたかもしれない、と思うと、全力で逃げにまわる。全力で気を使って、悪意はないんだよ、ということを主張しようとする。

基本的には気を使わない方がいいと思っているんだけど、時々気を使ってしまうことがある。これってもしかして、他の人も同じなんだろうか?僕が他人に気を使われて「そんなに気を使わなくて良いのに」と思っているとき、相手も気を使ってしまったことを残念に思っているのだろうか?僕が相手に気を使ってしまった時、相手も「そんなに気を使わなくて良いのに」と思っているのだろうか?もし、そうだ、という確信が得られたら、だいぶ気が楽になるんだけど。